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2022-11-09 11:23:58

【朝礼ネタ】日本の偉大な経営者の名言から学ぶビジネスの心得Ver.2

【朝礼ネタ】日本の偉大な経営者の名言から学ぶビジネスの心得Ver.2

会社で話すネタをお探しであれば、日本の偉大な経営者のエピソードを取り上げてみましょう。

特に、名言はコンパクトな文章に経営者のビジネスの哲学がまとめられているため、時間が限られた朝礼のネタとしておすすめです。

このシリーズでは、日本を代表する経営者が残した名言を略歴やエピソードとともに紹介しています。

今回取り上げるのは、孫正義と本田宗一郎です。

朝礼ネタをお探しの方は、ぜひ参考にしていただければ幸いです。

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孫正義に学ぶ

日本を代表する経営者・実業家の一人と言える孫正義。

今も現役で活躍しており、現在進行系で多くの名言を残し続けている人物です。

そんな、孫正義の略歴、名言を紹介します。

孫正義の略歴

孫正義は、1957年に佐賀県の在日韓国人実業家にもとに生まれました。

幼少期は家が非常に貧しく、豚や羊などと同じ劣悪な環境で生活をしていたそうです。

その後、父のパチンコ店経営が軌道にのり、生活は一気に裕福に。

生活環境も、豪邸へと一変しました。

中学生時代に出会った司馬遼太郎の著作「竜馬がゆく」により、「何か大きなことをしたい」と志すようになります。

久留米大学付属高等学校に進学しますが、研修旅行の訪問で刺激を受け、アメリカに行くことを決意。

高校を1年生のうちに退学し、サンフランシスコの英語学校に入学しました。

その後、孫はカリフォルニア大学バークレー校に進学します。

この時期は、「世界で一番勉強した」と自身で語っています。

まさしく、食事の時もお風呂に入っている時も教科書を開いていたそうです。

在学中に多国語翻訳機の試作機を開発し、当時シャープの専務を務めていた佐々木正氏に1億円で売却しています。

この資金を元手に、アメリカで企業を設立しました。

1981年に日本へ帰国し、日本ソフトバンク株式会社を設立しています。

その後、1996年には、Yahoo!Japan、2005年にはナスダックジャパンを設立しました。

ソフトバンクグループは複数の分野に事業を拡大し、日本のIT企業の代表例となっています。

現在、孫はソフトバンクグループ株式会社の代表取締役会長兼社長を務めています。

近年は、AIやディープラーニングの利活用に積極的です。

1日5分の発明

上記のとおり、孫は大学在学中、猛勉強していたと語っています。

しかし、卒業後の起業を決めていた孫は、1日5分だけ勉強をせず、特許を取るためのアイデアを検討していたそうです。

これは、単なる勉強の息抜きではありません。

孫は、1日1つの発明を自分にノルマとして課していました。

まさに、「脳がちぎれるほど」考えていたそうです。

この挑戦により、1年で250ものアイデアを生み出しています。

実際に、そのひとつが多言語翻訳機として形となりました。

上記のとおり、この試作機の売却額は、孫がアメリカで起業する際の元手となっています。

高速インターネットを日本に普及させた立て役者

2001年にYahoo!BBを設立し、通信事業に着手しています。

しかし、当時はNTTの独占状態にあり、NTTの協力が必要でした。

通信事業を開始するためには、NTTの通信施設に立ち入らなければなりません。

何度かNTTにコンタクトを試みたものの、好感触は得られませんでした。

そこで孫は、総務省経由でアプローチし、NTTの回線の使用許可を獲得したのです。

このことにより、Yahoo!BBは高速で低価格なADSLのサービス提供を始めます。

孫は、日本に快適なインナーネットを広めた立て役者と言えるのではないでしょうか。

「回線を借り受ける」という現在のMVNOのようなサービスの母体も、この時に生まれたと考えられます。

孫正義の名言

孫正義の名言には、自身が続けてきた並々ならぬ努力が反映されています。

また、挑戦することの重要さを説く名言も少なくありません。

一方で、孫が重要視している合理性も伺い知ることができます。

そんな孫正義の名言から、代表的なものをご紹介します。
 

  • 「最初にあったのは夢と根拠のない自信だけ。」
  • 「すってんころりんと転ぶかもしれない。しかし目指したものがそこにあれば、死ぬ5分前に「ああ、楽しい人生だったな。はるかに有意義な人生だった」と思える気がする。」
  • 「怒るのは自分の知恵の足りなさを認めるようなものです。」
  • 「事業の成功は精一杯チャレンジを続けていれば後は確率論の問題です。」
  • 「10秒考えてわからないものは、それ以上考えても無駄だ。」
  • 「頭がちぎれるくらい考えろ。」
  • 「狂ったほどの努力がないと翼なんか生えてこない。」
  • 「負ける戦いはしない。負けるだろうという戦いはもちろん、負けるかもしれないとか、苦戦するだろうという戦いは最初からしないことです。」
  • 「命がけで取り組める事が有る人生は幸せな人生だ。」
  • 「近くを見るから船酔いするんです。100キロ先を見てれば景色は絶対にぶれない。ビジョンがあれば、少々の嵐にもへこたれません。」
  • 「成功する者と失敗する者の違いは、頭の差より性格の差の方が大きい。」
  • 「今まで自分が悩んできた国籍だとか人種だとか同じように悩んでいる人達がいっぱいおる。俺は立派な事業家になってみせて孫正義の名前で、みんな人間は一緒だと証明してみせる。」

 

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本田宗一郎に学ぶ

続いて取り上げるのは、ホンダの創業者である本田宗一郎です。

本田宗一郎の略歴

本田宗一郎は、1906年に静岡県で生まれました。

幼少期から手先の器用さが自慢で、機械を触るのが好きな少年だったそうです。

特に車への憧れが強かったことから、1922年には15歳で東京の自動車修理工場に徒弟奉公しています。

修理工として6年間修行を積んだ後、21歳で独立して「アート商会浜松支店」を開業しました。

開業当初こそ仕事がなかったものの、修理業から改造業にまで手を広げたことにより支店は急成長しました。

1936年には、その後の需要を見越してピストンリングの研究開発に着手しています。

1939年には支店を譲渡し、ピストンリング製造を行う「東海精機重工業」の社長に就任しました。

1945年には、東海精機工業の株式をトヨタに売却しています。

翌年に、「本田技術研究所」を設立。

1947年には、「HONDA」の名が記された、最初のエンジンをリリースしました。

1948年には、「本田技研工業株式会社」を設立。

経営を担当する藤沢武夫との二人三脚により、1955年には、日本一の二輪車生産台数を実現しています。

1957年には東証一部上場、1958年には「スーパーカブ」がヒットするなど、大きく躍進を遂げました。

1973年、日本の高度成長期の終わりとともに取締役最高顧問となり、現役を引退しています。

その後、1983年には取締役も退任し、就寝最高顧問に。

1991年に、肝不全により死去しました。

目指したのは“120%”のクオリティ

本田は、社員に対して「100%ではなく、120%を目指せ」と伝えていました。

「100%を目指すと、1%のミスをなくすことはできない。

ミスをなくすために120%を目指せ」というものが、この言葉の真意です。

実際に、社員のミスを見つけると、厳しく叱っていたそうです。

本田が貫いていた、「徹底的な顧客目線」がうかがえます。

従業員に感謝を伝えるための全国行脚

上記のように顧客目線を徹底していた本田ですが、同時に社員には深い感謝の念を抱いていたと伝えられています。

その姿勢を物語るのが、引退後の全国行脚です。

社長を退いた本田は、それまで世話になった社員に向けて感謝を伝える旅を2年半かけて行いました。

販売店の前に突然現れ、挨拶したこともあったそうです。

作業員の油で汚れた手を握り、ねぎらうこともあったと伝えられています。

本田宗一郎の名言

技術者から大成したこともあり、本田は社内では「カミナリ親父」と呼ばれるほどこだわりが強かったようです。

一方で、現在も語り継がれている名言からは、人との和を大切にしていたことも知ることができます。

現在は経営者として評価されていますが、本田の仕事の哲学は現場での経験によって形作られています。

そんな、本田の仕事観がうかがえる名言の数々をご紹介しましょう。

 

  • 「苦しい時もある。夜眠れぬこともあるだろう。どうしても壁がつき破れなくて、俺はダメな人間だと劣等感にさいなまれるかもしれない。私自身、その繰り返しだった。」
  • 「私は若い社員に、相手の人の心を理解する人間になってくれと話す。それが哲学だ。」
  • 「自分の力の足りなさを自覚し、知恵や力を貸してくれる他人の存在を知るのもいい経験である。」
  • 「思想さえしっかりしていれば技術開発そのものはそう難しいものではない。技術はあくまでも末端のことであり、思想こそが技術を生む母体だ。」
  • 「失敗が人間を成長させると、私は考えている。失敗のない人なんて、本当に気の毒に思う。」
  • 「人を動かすことのできる人は、他人の気持ちになれる人である。その代わり、他人の気持ちになれる人というのは自分が悩む。自分が悩んだことのない人は、まず人を動かすことはできない。」
  • 「成功者は、たとえ不運な事態に見舞われても、この試練を乗り越えたら、必ず成功すると考えている。そして、最後まで諦めなかった人間が成功しているのである。」
  • 「独創的な新製品をつくるヒントを得ようとしたら、市場調査の効力はゼロとなる。大衆の知恵は決して創意などはもっていないのである。大衆は作家ではなく、批評家なのである。」

まとめ

日本の偉大な経営者のなかから、孫正義と本田宗一郎の名言を紹介しました。

興味があれば、この他の名言や功績、仕事哲学などを調べてみることをおすすめします。

特に、孫正義は現役のビジネスパーソンであり、今後の動向にも注目です。

今回ご紹介した内容を朝礼で話し、ぜひ従業員のモチベーションを喚起してください。

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